小次郎 (格闘家)
基本情報 | |
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身長 | 179cm |
体重 | 70kg |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
スタイル | {{{style}}} |
小次郎(こじろう)は、日本の男性元キックボクサー。東京都出身。元WMC世界ウェルター級王者。本名は宮園 泰人(みやぞの やすと)。引退後は本名で活動している。NITOH株式会社代表取締役。
来歴
[編集]青年時代
[編集]世田谷区立弦巻中学校及び世田谷学園高校出身で、棟田康幸と同期だった。講道学舎で柔道を学び、中学時代には全国中学生選手権で優勝した。しかし、次第に周囲からの重圧や柔道が「やるもの」から「やらされるもの」に変わってくると、柔道を続けることを断念した。
プロ転向
[編集]ウィラサクレックムエタイジムに所属し、NJKFの選手としてプロキックボクサーとしてデビュー。2001年10月10日にタイでWMC世界ジュニアウェルター級王座決定戦に臨む。当初はモッエック・ムアンシーマー(タイ/同級王者)が相手だったが、直前にテイキュウ・ソーウボンラックに変更になった。試合は2Rに小次郎がパンチによるダウンを奪い優勢だったが、続く3Rにテイキュウが戦意喪失とみなされ無効試合扱いになった。同年11月30日、タイのサムロンスタジアムにおいて行われたWMC世界ウェルター級タイトルマッチで1RKO勝ちし、新王者になる。2002年5月12日にはスイット・ウォースティラ(タイ/同級6位)を1R2:37KO(左膝蹴り)で仕留め、同王座防衛に成功。
フリー転向
[編集]2005年6月18日に新田明臣の持つIKUSA U-70戦王王座に挑戦。5R判定(3-0)で下し、第2代戦王になる。しかし、試合後のインタビューで本人はK-1制覇の夢を公言し、王座返上を表明する。
2005年11月5日、K-1 FIGHTING NETWORK KOREA MAX 2005で行われたアジアトーナメント1回戦でキム・セギに勝利したものの、母親の危篤を受け2006年2月25日の準々決勝を欠場した。
以降プロキックボクシングを事実上引退し、2006年6月に不動産会社を設立。
戦績 24戦17勝5敗2無効試合
[編集]勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | キム・セギ | 3R終了 判定3-0 | K-1 FIGHTING NETWORK KOREA MAX 2005 【アジアトーナメント 1回戦】 |
2005年11月5日 |
- | ダリウス・スクリアウディス | 2R 1:29 無効試合(バッティングによる負傷) | ZST BATTLE HAZARD 02【K-1ルール】 | 2005年9月10日 |
○ | 新田明臣 | 5R終了 判定3-0 | IKUSA GP -U60 SUPERSTAR☆Z TOURNAMENT -Opening Stage- 【IKUSA-U70戦王タイトルマッチ】 |
2005年6月18日 |
× | 小比類巻貴之 | 2R 1:13 KO(2ノックダウン:右フック) | K-1 WORLD MAX 2005 〜日本代表決定トーナメント〜 【準決勝】 |
2005年2月23日 |
○ | TOMO | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2005 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2005年2月23日 |
○ | ベン・バートン | 3R終了 判定3-0 | XPLOSION SUPER FIGHT K-1 CHALLENGE 2004 | 2004年12月18日 |
× | マイク・ザンビディス | 1R 2:21 KO(右フック) | K-1 WORLD MAX 2004 | 2004年10月13日 |
○ | シャノン・F16・フォレスター | 5R終了 判定3-0 | SHOOT BOXING 2004 Infinity-S Vol.2 | 2004年4月18日 |
× | ダニエル・ドーソン | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD MAX 2003 〜世界王者対抗戦〜 | 2003年11月18日 |
○ | ナミイル | 2R 1:39 KO(パンチ連打) | FUTURE FIGHTER IKUSA 4 〜宴〜 FIREWORKS | 2003年8月30日 |
× | 武田幸三 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜 【1回戦】 |
2003年3月1日 |
○ | ラムナムコン・ソーランチャイ | 5R終了 判定2-1 | ニュージャパンキックボクシング連盟「DREAM RUSH 8」 【WMC世界ウェルター級タイトルマッチ】 |
2002年11月3日 |
× | マリノ・デフローリン | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2002 〜世界王者対抗戦〜 | 2002年10月11日 |
○ | オーローノー・ポームアンウボン | 5R終了 判定2-0 | ニュージャパンキックボクシング連盟「DREAM RUSH 5」 | 2002年7月14日 |
○ | スイット・ウォースティラ | 1R 2:37 KO(左膝蹴り) | ニュージャパンキックボクシング連盟「DREAM RUSH 4」 【WMC世界ウェルター級タイトルマッチ】 |
2002年5月12日 |
○ | 隼人 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2002 〜日本代表決定トーナメント〜 【リザーブファイト】 |
2002年2月11日 |
○ | 石毛慎也 | 4R 1:39 TKO(カット) | ニュージャパンキックボクシング連盟 「CHALLENGE TO MUAI-THAI 7」 |
2001年6月24日 |
○ | 本山大 | 3R終了 判定3-0 | ニュージャパンキックボクシング連盟 「CHALLENGE TO MUAI-THAI 3」 |
2001年2月17日 |
○ | 木村龍介 | 3R 1:21 KO | ニュージャパンキックボクシング連盟 「MILLENNIUM WARS 5」 |
2000年7月7日 |
○ | 木村龍介 | 1R 2:51 KO | ニュージャパンキックボクシング連盟 「MILLENNIUM WARS 1」 |
2000年1月29日 |
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 N/A |
WMC世界ウェルター級王者 2001年10月10日 - 2003年 |
次王者 クンタップ・ウィラサクレック |
前王者 新田明臣 |
第2代IKUSAU-70戦王王者 2005年6月18日 - 2005年6月 |
次王者 N/A |